ちなみに、この本が出版されたのは、2009年7月なので、若干、出遅れた感がある…かも。感想文というか、ただのメモ(汗)
インターネットが新聞・テレビを壊す
内容としては、本のタイトルにある通り、「2011年」=極めて近い将来に、「新聞・テレビ」=マスメディアがビジネスモデルとして相当やばい状況になるということと、その背景を説明してくれる新書。マスメディアのビジネスモデルの脅威が、まさにインターネットであり、マスメディアの収入源をことごとく破壊していくという…という、そんな内容。
「マス」という概念が崩壊する
テレビや新聞などの「マスメディア」の存立基盤が何なのか、と考えてみると、その一つは、筆者が指摘するような、実態として存在しないかもしれないし、補足することができないかもしれない「大衆」という概念であることは確かだろう。多くの視聴者の趣味志向の公約数のような情報、いわゆる、「大衆が望む」情報を流通させることで、テレビや新聞はメディアとして(詳細には測定不能としても)「見られている」状態を作り出してることにして、広告のクライアントから広告料を得てきたわけだし、これがビジネスモデルの1つだった。
マスメディアのビジネスモデルは、(多種多様な趣味志向を持つ)個人が望む情報を得るための情報流通の仕組みを作るコストが高いとか、個人の趣味志向を把握する術がないといった技術的不可能性に依存していて、その技術的不可能性をインターネットがひっくりかえしてしてしまったという側面があるんだろうな、と思う。技術的不可能性に依拠した「大衆」という前提がインターネットによって崩されてしまった影響はやはり大きい。
出遅れた新聞屋さんとテレビ屋さん
しかも、インターネットか電波(もしくは、毎日配達される紙)か、という情報流通媒体だけの問題だけであれば、テレビや新聞もインターネットをうまく使えれば挽回も可能だったかもしれない。しかし、既に、インターネット上で情報を流通させる仕組みが、テレビや新聞とは関係ない形で構築されて、結局、蚊帳の外に置かれているというのがテレビや新聞の問題を深刻にしているように思った。
インターネットの脅威に気がついていながらも、積極的に関わるのではなく、どちらかというと無視するという選択肢を選んでしまったことも、コトをややこしくしている印象は否めない。無視しないにしろ、取り組みが中途半端だった感は否めない。思い出してみると、例えば、日本テレビが「第2日本テレビ」のような営みもあったけれど、「試み」感は否めないし、それをやっているから、それ以上の営みが起こせなかった側面もあるのではないだろうか。
「大衆」という概念に執着し、例えば、(本書の中に似たような表現があるが)膨大な情報から「大衆向け」に情報を選んでやってるくらいの感覚でいたマスメディアな人たちにとっては、よほどのパラダイムシフトでも経験しない限り、キャッチアップし得ない領域ではあったんだろうなと思う。昨今のマスコミ各社の業績悪化は、マスコミ自体が自身のあり方を大きく変えるためのチャンスのひとつではあったが、例えば、ただ、大幅なコストカットを行って、何も変えずに既存のビジネスモデルの延命を図っているように見えるのは残念だ。
佐々木 俊尚
文藝春秋
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